□ profile  暇〜な時にどうぞ。人生年表を…ちょっと作ってみたかっただけです。(2007.01.11) new
1975

群馬県に生まれる。兄との2人兄妹の長女。
小さい頃から、大きかったらしい。

3歳のころからピアノを始める。
この頃はヤマハ音楽教室でグループレッスン。あまり集団レッスンはあわなかったらしい。
家にはエレクトーンしかなく、よく「勝手にしやがれ(沢田研二)」なども弾いていた。

保育園〜小学生にかけては、よく近くの古墳で遊んでいた。
前方後円墳の「朝子塚」。(のちに高校生のとき、この上空でUFOを見かける。)
頂上には「雷電(らいでん)神社」があり、ここから「ライディーン」が出てくると思っていた。

父親の好みで、ブラジル音楽がこの頃から?家でかかっていた。

1982

絵を描いているか、ピアノを弾いているか、音楽を聴いているか、の小学生。
初めてレコードを買ったのは8歳。チェッカーズ「哀しくてジェラシー」。
なぜか3rdシングルから買ってしまう。

小学生になると、ピアノにストイックになり始める。
高学年になると、学校の校歌を伴奏。対1000人規模。孤独な作業。
校長先生には「小島はもっと自分に自信を持たなきゃダメだ」と叱られる。

習字、スイミング、そろばん(一年で辞めた)などもやる。
スポーツにはセンスがない事を悟る。

学校の図書館にある、落語の本を読破。なぜ落語にはまったのかは謎。

高学年あたりから、洋楽を聴き始める。
父の会社のCMキャラクターが当時BON JOVIだったため、ボンジョビも聴いていた。
マイケルジャクソンを初めて聴いたのもこの頃。

小5の時、音大のクラシック方面に進むかの選択を迫られ、
音楽はずっとやりたいけど、果たしてクラシックなのか?を悩み、保留。

星新一のショートショートばかりを読む毎日。


1988

相変わらずピアノはやりながらも、中学では陸上部へ入部。
瞬発力はないので、中長距離(800M)を選ぶが、あまりにもキツい種目で面食らう。
途中でなぜか、顧問の意向によりむりやりハードルに転向。
この頃、ヒザにでこぼこの傷をたくさん作る。記録などは全く残せず。

同時に、バンドブームに流されそうになりながら、THE BOOMなどにハマり始める。

理不尽な先生には反抗する日々。
「何か問題があると、必ず小島が関わってるな」と記憶にない事を担任に言われ、
「小島は色が黒いし胸も無いから、女子高に行けばモテるぞ」と別の担任にはセクハラをされ、
ますますひねくれる。反動でピアノと勉強によりストイックになる。

中2「やっぱり音大は行かない」と決め、楽しくピアノを弾こうとするが、
逆にどうしていいかわからずに、また悩む。


1991

県立の女子高校入学。歌を歌いたくて合唱をやっている「音楽部」に入るが、
顧問の先生の意向で、それが「ほぼミュージカル部」だと言う事が判明。面食らう。
それでも、きちんと女声3部合唱もやりながら、1年中朝昼夕を、歌と踊りと演劇に費やす。

アルトパート。3年間男役。

1年の時は「サウンドオブミュージック」、
2年の時は「ウェストサイドストーリー」ベルナルド役、
3年の時は「カルメン」闘牛士エスカミーリョ役。

声も低かったので、この頃は、妙に女子たちにモテた。お母様方にもモテた。
3年の時のステージ本番中に、殺陣で右手指を骨折。大学受験を前に大失敗。
骨折の次の日の文化祭では、全校生徒の中から「ミスター」のグランプリになる。おおいに微妙。

1年の時、ラジオに初めて出る。
リスナーと電話を繋いでクイズで賞金企画。そわそわしながら4問正解。8000円ゲット。
匿名だったにも関わらず、次の日、校内で知らない子に「昨日ラジオでてたでしょ?」と言われ、
ラジオの影響力を知る。

高校2年で、ピアノレッスンを辞める。
大学受験の勉強もあまりうまくいかず、国立の第一志望を始め、続々と失敗。
唯一、2つだけ受けた東京の大学に合格。…東京に縁があったんでしょうか。

そんな中でも、群馬にツアーでやってくるバンドのライブなどに行く日々。
兄のすすめなどで、UKものロックや、ニューウェーブ、
ちょいっとくせのある音響もの?実験音楽的なものを聴かされる。
当時深夜にやっていた「BEAT UK」でみたビョークと、THE CUREのパフォーマンスに驚く。

ミヒャエルエンデ、村上春樹の小説に夢中になる。
音楽座のミュージカル、古澤巌(vl)に夢中になり始める。


1994

上京。日本女子大学に入学。寮生活。
タイル張り、コンクリートの壁、簡素過ぎるベッド。独房の様な部屋に、母と私、唖然。
過酷な住環境が、むしろ「上京物語」的でアガる。その後、ストレスで激やせ→激太り。
一度、夜中に寮を脱走。アスファルトの上に飛び降りた衝撃で、人生初ねんざ。痛かった。

暗いピアノ室で籠ってみたり、屋上でビル群を見ながら感慨に耽ったりする日々。
社会学などを学びながら、たまに合コン、バイト、放送のサークルの時間を過ごす。

2年、寮内の人間関係は問題なかったが、物理的ストレスで寮を出る。一人暮らしを始める。
この頃、他の人間関係に疲れてしまい、「やはり音楽をやりたい」と一念発起。
新入生に紛れて、隣の早稲田大学の音楽サークルに入る。
素人の学生とは思えない濃いキャラクター揃いで、音楽的にも、人間的にも相当影響を受ける。
ブリティッシュビート、ソウル、ブルース、ファンク、フリーソウル、ブラジルなどを聴き始める。
一気に学生生活が充実し始める。
この頃の同級生や友人先輩などの後のプロミュージシャンたちとは、
数年後、ラジオで共演することとなるのです。

様々なバンドを組みながら、新宿JAM、下北沢Queなどでもライブを行う。
ジャンルは、ソウルからファンク、ブラジル、フリーソウル、、、レゲエまで。様々。

女子大の放送サークルは、友達作りのために皆で一斉に入ったが、意外に充実。
冬はスキー場で住み込みでゲレンデDJをやってみたり、
結構シュールな映像作品や、ラジオドラマの脚本・演出・音楽全般を手がけたりする。


1997

3年の冬、友人の紹介で、開局間もない「SHIBUYA FM」で番組を始める。
アマチュア・インディーズバンドの番組、相方はまだこの頃学生だった、ふかわりょう氏。
ちなみに初ゲストはデビュー直前のTRICERATOPS。みんな、若かった。

進路も曖昧なまま4年に突入。驚きの学科優秀生に選ばれ、奨学金をもらうが生活費に消える。
でも勉強は嫌いじゃなかったので、積極的に卒論に打ち込む。
研究テーマは「ドラッグ、音楽、流行、私探し」。暗いことこの上ないテーマで、書きながら落ち込む。
親の手前、音楽とラジオを続けるための就職活動も。
結局、某FM局のアナウンサーの内定をもらうが、辞退。
東京での、ラジオとバイトの日々が始まる。


20代前半は、六本木のbarで週1〜2回のライブを行い、お酒を飲んでは歌う3年間。

FMラジオのレギュラーや、AMでのレポーター、イベントMC、TV、などなどやる中で、
ホリプロ主催のインディーズ発掘プロジェクト「音の穴」の、ラジオ部門のパーソナリティを担当。
4年近く番組に携わる中、事務所に誘われ、現所属事務所のホリプロと専属契約。

事務所に入る直前に、母が他界。
26歳、仕事も、家族も、プライベートも、全ての転機となる。ごちゃごちゃとカオスの日々。

その後、ニッポン放送、TOKYO FM、bayfm、Inter FM etc. などのレギュラーを担当。
友人の音楽ユニットなどにVo.で参加、レコーディング、ライブ活動なども不定期に。
そして、、、、、、(中略)、、現在に至る。まあ、色々ありました。

(2007.01現在/加筆予定)

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